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歌劇ファン必見! 宝塚OG探訪♪

「朝風 薫」さん 宝塚歌劇団 第56期生

「清く・正しく・美しく」の心で150年、200年とつないでいってください。

『歌劇ファン必見! 宝塚OG探訪♪ 』は、元タカラジェンヌのOGの方や、宝塚歌劇に関わってこられた方を取材させていただき、現役当時のお話や、現在ご活躍の様子などをお聞きしていくコーナーです。 
地元伊丹では超人気!<br>中国風居酒屋「旨し酒 風丹(フウタン)」さん。
地元伊丹では超人気!
中国風居酒屋「旨し酒 風丹(フウタン)」さん。
記念すべき第1回は、伊丹の「旨し酒 風丹(フウタン)」さんでお話をうかがいました。

実は、今日取材させていただくのは、その風丹のマスターのお母様、古東(ことう)さんです。
※風丹のマスターから、ちらっと「実はうちのオカン、元宝塚やねん!」という情報を入手。
「お母様をぜひ第1回に」という取材依頼に、「恥ずかしいけど、まいぷれ(いたみん)さんのためなら!」ということで快く取材を受けていただきました。

元宝塚歌劇団 第56期生「朝風薫」さん<br>今日はインタビューよろしくお願いします。m(_ _)m
元宝塚歌劇団 第56期生「朝風薫」さん
今日はインタビューよろしくお願いします。m(_ _)m
現役当時の男役の朝風薫さん
現役当時の男役の朝風薫さん
 -まずは入学・入団年度などお聞かせ下さい-
1968年(昭和43年)音楽学校入学、1970年(昭和45年)宝塚歌劇団入団、初舞台は月組の「四季の踊り絵巻」、その後、雪組に配属になりました。(その当時、宙組はまだなく、月・雪・星・花の4組でした)
1972年(昭和48年)退団、劇団には3年間いました。

 -宝塚歌劇団に入られるきっかけは?-
実は3回挑戦して、やっと入学できたんです。1度目は、中学卒業の時。1次試験は合格したのですが、2次試験で落ちました。それから普通の高校に進学。高校卒業前の3年生の2月、内重のぼるさん主演の「霧深きエルベのほとり」の劇を観て、やっぱり演劇がしたい!という思いが湧き上がってきました。東京の演劇関係の大学にも進学希望だったのですが、父が厳しく、家から通えるところしか許してもらえませんでした。
「自分の可能性を試してみたい!」という思いで一念発起し再々度挑戦。高校卒業後の年にようやく合格できました。(その当時は、宝塚音楽学校の試験は高校の3年間と、高校卒業後の1回の合計4回チャンスがあったんですよ。)
娘役の朝風薫さん<br>※当時は身長で男役・女役に振り分けられたそうです。
娘役の朝風薫さん
※当時は身長で男役・女役に振り分けられたそうです。
 -どんな学生さんでしたか?-
伊丹の自宅から阪急電車に乗って、毎日通っていたのですが、予科・本科とも2年間、無遅刻・無欠席のとても真面目な生徒でした。通常は4~50名程度なのですが、1970年大阪万博の年で、「タカラヅカEXPO‘70」に合わせ、同期生が70名もいたんですよ。当時は(旧姓が田和なので)、“タワちゃん”というあだ名で呼ばれてました。※ウィキペディアでは愛称“タフちゃん”になってました(笑)。

 -劇団時代の一番印象深い舞台は?-
やはり初舞台の「四季の踊り絵巻」「ハロー・タカラヅカ」、そして「ノバ・ボサ・ノバ」というリオのカーニバルの人間模様を描いた舞台が印象に残っていますね。同期生には、麻美れいさんや小柳ルミ子さん(当時は夏川るみさん)がいましたよ。
先輩後輩の上下関係は、ご存じのように非常に厳しいものでしたが、3年間という短い間でしたので、充実した青春の1ページを過ごせたという楽しい思い出ばかりですね!
<56期生全員集合の舞台写真><br>※どれが朝風薫かは思い出せません(笑)<br>身長は高い方だったので、後ろの方にいるはず!
<56期生全員集合の舞台写真>
※どれが朝風薫かは思い出せません(笑)
身長は高い方だったので、後ろの方にいるはず!

その当時の新聞切り抜き(56期生初舞台)<br>※ラインダンスの左から8人目だそうです。新聞紙の色に歴史を感じます。
その当時の新聞切り抜き(56期生初舞台)
※ラインダンスの左から8人目だそうです。新聞紙の色に歴史を感じます。
 -退団後のお話を聞かせてください-
小学校・高校の同級生だった主人と結婚。実は主人、宝塚映画などを撮る映像カメラマンをしていて、映画の撮影時に再会したのがきっかけだったかな?(よく覚えていません・・♪)
結婚を機に、主人の実家で営んでいたお店を改装して、阪急伊丹駅前で「EVE(イブ)」という喫茶店をはじめました。電車の運転士さんや車掌さんがよく来てくださいましたよ。二男にも恵まれ、子育てしながらの毎日でしたが、まわりの協力もあり、結局昭和48年~平成17年までの32年間も続けることができました。
 -今年は宝塚歌劇100周年。後輩たちに一言メッセージをお願いします。-
これからも1タカラヅカファンとして応援いたします! 私たちの時代も、先輩から受け継いできたものを、次の世代へつないできました。ぜひこれからも150年、200年と続くように、「清く・正しく・美しく」の心でつないでいってほしいです。がんばってください!

100周年公演で同期生の一部で集合されたときのお写真<br>☆みなさん全員、元タカラジェンヌ☆(左から2番目がご本人)
100周年公演で同期生の一部で集合されたときのお写真
☆みなさん全員、元タカラジェンヌ☆(左から2番目がご本人)

 -喫茶店「EVE」を閉じられてからは?-
次男がずっと中華料理の勉強をしていて、喫茶店のあと、同じ場所に中国風居酒屋としてお店をオープンしてくれました。それが現在の「旨し酒 風丹」です。お店を譲る際、一つだけ息子に条件を出しました。お店の名前に、私の「朝風薫」の『風』の字を入れてほしいと。
それで、伊丹の「丹」の字と合わせて「風丹」と名付けました。※「丹」の字は「赤い」という意味もあるそうで、風丹の看板は赤色です!
そして、この5月に2号店「風紋」をオープンし、こちらも「風」の字を入れてくれました。※その息子が学生時代ずっと吹奏楽をしていて、吹奏楽曲「風紋」からとったようです。また風でいろいろ変わる砂の模様という意味もあるらしく、さまざまなソースで味わえる串揚のお店に、いつも違う風が吹いて365日ソースが変わるのをイメージしたようです。
息子の世代になっても、「風」が受け継がれて、ずっと地元のみなさまに愛され続けてほしいですね。
夜には赤く光る「風丹」さんの看板☆<br>9周年おめでとうございます!
夜には赤く光る「風丹」さんの看板☆
9周年おめでとうございます!
5月に新オープンした「風紋」さん。<br>こちらも「風」の字が光ってますね!
5月に新オープンした「風紋」さん。
こちらも「風」の字が光ってますね!
☆風丹、風紋オーナーの息子さんと笑顔のツーショット☆<br>※風丹さん、この7月でちょうど9周年を迎えられました。<br>息子さんの目標は「風丹」を「EVE」より長く、33年以上続けることだそうです。
☆風丹、風紋オーナーの息子さんと笑顔のツーショット☆
※風丹さん、この7月でちょうど9周年を迎えられました。
息子さんの目標は「風丹」を「EVE」より長く、33年以上続けることだそうです。
古東さん、本日はインタビュー本当にありがとうございました。
次の世代に受け継がれる「風」の秘密を知ることができてよかったです!! (チャリンコT)
【取材ご協力】
旨し酒 風丹(フウタン)様  
伊丹市西台4-1-1 072-778-1283
串焼・串揚・バル 風紋(ふうもん)様  
伊丹市大鹿7-40-2-107 072-785-8676

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